つれづれ化学草子 乾飯の巻
乾飯の上に涙おとしてほとびにけり
伊勢物語
 昔、男ありけり。その男身をえうなきものに思ひなして、「京にはあらじ、あづまの方に住むべき国求めに」とて行きけり。
…(略)…その沢のほとりの木の陰におりゐて、乾飯(かれいひ)食ひけり。その沢にかきつばたいとおもしろく咲きたり。それを見てある人のいはく、「かきつばたといふ五文字を句の上にすゑて、旅の心をよめ」といひければ、よめる、「から衣 きつつなれにし つましあれば はるばるきぬる たびをしぞ思ふ」と読めりければ、皆人、乾飯の上に涙おとしてほとびにけり。

「現代語訳」
 昔ある男がいた。その男は自分のことを無用のものであると思いこんで、「京の都には住むまい。東国の方に暮らせる国を探しに行こう」と言って出かけていった。…(略)…その沢のほとりの木陰におりて、乾飯食(かれいひ)を食べた。
 その沢にカキツバタの花がとても晴れやかに咲いていた。それを見てある人の言うことに、「カキツバタの五文字をすべての句の上にすえて、旅の気持ちを詠んでみなさい」といったので、詠んだ歌が、「から風の着物を着続けていると柔らかく身に馴染んでしまう。親しい妻をおいて、はるばる遠くまでやって来たのだなあと、しにじみと思えることだ」と詠んだので、同行の人みんなが悲しさのあまり、涙を落とし、乾飯がその涙でふやけてしまったのだ。(訳:山田暢司)
  右上画像:「影印」伝為家筆本より 東下りの部分:九州大学図書館蔵

涙でふやけた飯

 伊勢物語、その名前がどういう意味を持ち、どのような経緯でいつころの成立なのか、実際のところはよくわかってはいません。在原業平その人と言われる「ある男」の元服から生の終焉に至るまで、旅を通じて様々な女性や友人達と出会い、歌を詠み、文学的な情緒豊富な小作品集を作りあげています。
 引用は有名な東下りの一節、恋の痛手を癒すべく東国へ下る旅路で、都に対する郷愁の念を歌に詠んだ部分です。実際には、藤原氏の他氏排斥の政策により、陰に追いやられつつあった「身をえうなきものに思ひなし」た業平自身の身の上が語られているのでしょう。思いあまって落涙し、水でふやかして食べるはずの乾飯(かれいひ)がふやけてしまったという話。
 カキツバタの各文字を歌の各句の最初の文字にあてて詠んだ歌と、一節の後の方に出てくる「名にし負はばいざこととはむ都鳥わが思ふひとはありやなしやと」の部分は、たいていの教科書で扱われているので、授業で学習した憶えのある人も多いはず。中でも、涙でふやけてしまった飯を食べるシーンは印象強く残っているのではないでしょうか?
乾飯とはいったい何だろうとか、ふやかした飯とはどのような味がしたものだろうかとか、悲しい時の涙は薄味だといいますが…。
 ここでは、ある男の失意の都落ちで、「涙にほとん」でしまったという乾飯(かれいひ)について考えてみます。

水でふやかして食べる
乾飯(かれいひ)は、蒸した米を天日で当てて干し、湯や水に浸し、ふやけさせて食べられたもので、保存手段の乏しかった時代のインスタント食品です。乾燥させてあるので軽く、雑菌も繁殖しにくい上、水を加えさえすればすぐに柔らかくなるのですから、旅先の携行食料品としてとても便利なものでした。
 乾飯の表記は、日本書紀の「可美乾飯根命(うましからひねのみこと)」や出雲風土記にも見られ、神代から携帯食とされていたことがわかります。宇津保物語にも、山の空洞に住む母子に心を寄せる兼雅が、供の者に乾飯を餌袋(※)に用意させ、こっそり山に向かう話が記されています。それほど遠出でなくとも、携帯食として重宝されていたことが伺えます。
※二阿鈔に「明阿曰、鷹の餌入る袋を本にして、それに葉子乾飯などもいるるなり。」とあります。また、落窪物語巻一にも乾飯携行用の袋の記述が見られます。
 さて、便利な携帯食品である乾飯は、合戦に備えて調達される兵糧としても用立てられ、兵糧といえばもっぱらこの乾飯のことを意味しました。戦場におもむく兵士にとって飯の炊き上げは、敵にその存在を知らせるようなもの。また、あらかじめ炊いて乾燥させた飯は軽く、餅のようにカビることもないので、移動しながらの戦に必要不可欠な携行品でした。戦況不利でいよいよ籠城となれば、大量の乾飯が城内に運び込まれたといいます。攻撃する側としては、城内の兵糧が底をつくまで気長に待つ、いわゆる兵糧攻めが行われたわけです。
 戦前までは、家庭でも残った白飯をむだにしないために、乾燥させてとっておき、炒り揚げてあられなどにするということが普通に行われており、
乾飯の歴史は米食の歴史そのものに重ね合わせて考えることができます。しかし、重宝がられてきた乾飯も次第に食べられなくなり、食料の安定供給が図られた現在では、「おこし(※)」などのお菓子や、特化した和菓子の材料として、今に至っています。
倭名類聚抄』に、「米巨米女」(おこしごめ)は蜜を以て米に加え煎りて作るなり、と記載されています。その起源については、渡来(唐)であるとか、糒(ほしい:後述)が訛ったとか。

乾飯:(有)丸文食品

雷おこし:常盤堂江戸時代後半から浅草で売り始められた


乾飯はαデンプン
 
ご飯の主成分であるデンプンはブドウ糖(グルコース)がたくさん連なって作るアミロースやアミロペクチンという独特な構造を持っています。グルコース間の結合が、水分子を引き入れる適当な空間を作りながら、全体としてはスプリング状の伸びやかな巨大分子を構成しています。米の種類により、結合のバリエーションとその含有率が少しづつ違いますが、我ら日本人の主食であるご飯の持つあの独特な食感は、このアミロ構造が決定づけていると言っても過言ではありません。粳(うるち)米には、アミロースが20%程度含まれ、残りはより粘性の高いアミロペクチンです。アミロペクチンは、グルコースの1,6炭素部位の結合が加わる網目(枝分かれ)構造を有し、高い粘性を示しますが、糯(もち)米のデンプンはほとんどこのアミロペクチンなのです。

 ところで、普段私達がデンプンを生のままで食べることは山芋の場合を除いてほとんどありません。生のデンプンの状態はベータデンプンと呼ばれ、そのままでは消化されないため、たいてい水を加えるなどして加熱調理しているはずです。水を加え加熱すると、デンプン分子のミセル構造がゆるみ、水に分散しやすい糊状になります。この変化をアルファ化といい、酵素作用を受けやすく消化が良くなるのです。
 ちなみに、X線によって干渉輪をしめすかどうかで分子の配列状態を知ることができるのですが、生のデンプンであるベータ型は結晶性の明らかな干渉輪を示します。対して、加熱膨潤によって、分子配列がゆるんで粘性が高くなると、結晶性が失われてきます。よく、グルコースの結合タイプでαとかβといった区別がされますが、ここでいうαβは分子の結晶性を区別した表現であり、混同使用に注意する必要があります。
 

 右上画像:穀物(小豆)中のデンプン粒画像 提供:井村屋製菓食品

 
 さて、食べやすく消化にも良いαデンプンですが、いつまでも放っておくわけにはいきません。というのは、糊化したアルファデンプンは、そのまま放冷すると再び結晶性を示すようになるからです。この変化を老化(retrogradation)といいますが、ご飯の食べ残しをそのままにしておくと、ぱりぱりになってしまうあれですね。老化は、水分の含有率が30-60%のときに最も起こりやすく、一度老化させてしまうと、加熱してもなかなかやわらくなりません。ところが、高温で流動性の高いうちに水分を取り除いてやると、α化のままでデンプンの老化を止めることができます。乾飯は、米を炊き熱いうちに水分を取り除き、天日干しなどして乾燥させたものです。保存が効く上、α化を保っているため水を加えれば容易に膨潤させることができます。

アミロースのらせん構造


アミロペクチンの枝分かれ構造

 
α米・・・最近話題のα米は、米を炊いて急速に乾燥させたもので、水を可食部100gあたりわずか8g(食品成分表:標準の精白米は65g)しか含んでいません。特に電子レンジ調理用食品にも利用されるようになったことで、α米はまさに乾飯(かれいひ)の現代復活版と言えそうです。α化を保ったままの製法といっても特別なことではなく、穀物を火であぶって軟らかくし、そのまま水分を飛ばしてあれば同じです。ビスケットやせんべい、スナックの多くの類は同様な製法と考えていいでしょう。ちなみに、フリーズドライ製法は穀物デンプン以外の食品にも応用されていますが、多くは加熱調理後に急速乾燥を行っている点で同様です。

米を備えておくので「糒」
 
乾飯(かれいい)の読みが古代からあったらしいことは日本書紀の記述からも明らかですが、米を備えておくという意でしょうか、次第に「糒」(ほしいい)と表記されることが多くなってきます。もっとも「乾飯」も「ほしいい」と読むことができたのですが、鎌倉時代の頃にはすでに「糒」に変わっていたようです。
 さて、戦時下では重宝された「糒」も戦国時代が終わって天下泰平の江戸時代となると、兵糧用の使い道がなくなり、菓子などに転用されるようになります。良質の「糒」の生産地は河内で、道明寺(大阪府藤井寺市)という尼寺では、すでに平安初期、菅原道真の叔母覚寿尼(かくじゅに)によって菓子作りが始められていました。モチ米であんをくるんだ桜餅を「道明寺」、菓子用の糒を「道明寺糒」、粗く砕いた粉を「道明寺粉」と呼ぶのは、この寺の名に由来します。道明寺粉をさらに細かい粉にして、砂糖と混ぜて成型したものが落雁(らくがん)です。これら多彩な和菓子文化は兵糧の払い下げとその活用から生まれたものと考えられるわけです。

 ちなみに、道明寺は黎明期の大和朝廷の有力豪族、土師(はじ)氏の根拠地であり、「糒」の備蓄に関わり大きな力を保持していたと言われています。

ポン菓子
 米を高温高圧下で瞬時に放圧することで作られるものを膨化米といいます。高温下でデンプンをアルファ化し、減圧させることで一気に乾燥と組織破壊を行うので、大きく膨潤します。いわゆるスナック菓子がそれで、独特の食感が得られ、糖やチョコレートをコーティングしたものなど、ヒット商品になるものも多いようです。この膨化米を製造するイベントに出くわしたことがありますが、高圧バルブ付きのローストタンクに米を入れて加熱、頃合いを見計らって、バルブを放つというものでした。その際、もの凄い音を伴うことが、ポン菓子とか爆弾あられと呼ばれる由縁です。ポップコーンが出きる過程も原理的に同じで、厚い豆皮の下で生デンプンがいったんアルファ化され、破裂膨潤により短時間で水分の含有率の低下が起こります。


道明寺


ポン菓子製造器:提供 タバサ様


電子レンジで急速乾燥 簡単
乾飯作り
 
古来の製法としては、炊飯後に熱湯で洗い、天日干しなどして数週間かけて作られたものです。しかし、電子レンジという現代技術の力を借りれば、数分で簡単に乾飯を作ることができます。ポイントは、レンジを弱めに設定し、時間をかけて水分を飛ばすことです。ただし、十分乾燥したのにもかかわらず、レンジをかけ続けると火が出て炭になってしまうので注意が必要です。

 デンプンの老化を止めるにはある程度の温度(80度以上)を保ちながら、水分を減らすことが必要です。米のくっつき合い防ぐため、前もってアルファ状態のご飯をお湯で簡単に洗っておくといいでしょう。ざる等で水を切り、器の上に米をあまり重ならないように並べ、電子レンジを弱めにかけると、温度を高く保ったまま乾燥させることができます。また、おにぎり状のままでレンジにかけた場合はかなり硬くなるので、こちらは油で揚げて、おこし状にして食べる方に向いています。

お米の食べ方いろいろ
 ご飯の食べ方の歴史について。日本人は米を主要食料とする世界でも数少ない民族です。私たちの祖先は、自らの国を「豊葦原瑞穂国」と呼び、米をいのちの糧として大切にしてきたのです。その食べ方ですが、現在のように釜で炊きあげる方法が一般化するようになったのは江戸時代中期になってからのようです。江戸時代初期には、煮汁を捨てて蒸らすやり方(湯とり方)だったのが、中期には煮汁を捨てずに炊きあげる現在と同じ方法(炊き干し方)になったといわれています。ご飯の食べ方について、いくつか例示します。

  1. 焼米・・・乾燥したもみ殻のついたままの米をそのまま焼き、手でもみを取り除いただけ、あるいは湯茶に浸して食べました。米がまだ青いうちに刈取り、もみのまま水につけて焼き、これをつく方法もありました。
  2. 強飯(こわめし)…甑(こしき)という土器を使って、もみを蒸して硬めにしました。後になって、玄米や白米を使うようになりました。
  3. 粥(かゆ)……水をたっぷり加えて炊いたものです。
  4. 湯漬(ゆづけ)・・・今でいうところのお茶づけ。もとは乾飯をもどした食べ方。
  5. 味噌水(みそみず)・・・味噌雑炊のこと。
  6. 屯食(とんじき)・・・強飯をにぎり固めたおにぎりのこと。
  7. かしきかで・・・米に野菜や雑穀、豆を加えて炊きあげたもの。
  8. 油飯(あぶらいい)・・・油で炒めたご飯。チャーハンやピラフに近い。ゴマ油で炒めクチナシで色を付けていたとか
  9. 餅(もち)・・・餅はアミロペクチンの含有率の高い米種で、蒸しあげ後、練ったりついたりして食べるのに向いています。
古代の稲・赤米について
 
果皮層にアントシアン系の色素を含む赤い米が古代米として人気を博しています。過剰、飽食の現代、主食である米に対しても変わりものへの欲求が高まっているのでしょうか。今でこそ米と言えば、白くて当然となりましたが、数百年前までは、赤米は正式な米として承認されていました。そのルーツは数千年の稲作文化の初期にさかのぼり、日本全国で栽培されていたようです。数々の記録から、神社の祭礼用赤飯や貴族の日常食にされていたことがわかりますが、生産性の高い白米に次第に押され、明治新政府による白米増産活動によって赤米の栽培は事実上終息しています。その後、一部の神社や愛好家によって栽培が続けられてきましたが、食の個性化へのニーズが高まり、注目を浴びる結果となっています。ナイアシン含量が高く、低タンパクであることが病中食に向いていることがわかったり、公民館等のイベントや小学校の体験学習でも、古代米の栽培や食を楽しむプログラムが続々登場してきています。最近は、赤米を原料とした酒や菓子が登場し、地方の町おこしに利用されるなどの動きもあり、ここに来て赤米には確実に復活の兆しが見えてきました。

  右上赤米画像:提供:たのしい万葉集 

「参 考」
 伊勢物語(上) (阿部俊子 講談社学術文庫)
 米の科学 (石谷孝佑・大坪研一 朝倉書店) 
 米のはなし (横尾政雄 技報堂出版)
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編集:山田暢司