○出会いを大切に!:この偶然たまたまが馬鹿にならない。

 

 入学後、一年が経過しようとしている。こんな情勢で、気づいたら学年修了数日前。いったい何だよ、これ、って感じだが、未曾有の国難だ。1年2組もここで解散である。思えば一年前の入試後、美術選択希望者を機械的に集めて無作為に2つに分けただけである。普通科は8クラスで、担任決めをするときも「2組じゃダメなんですか?」などとふざけてたまたま2組を選んでしまったに過ぎない。生徒の組み合わせも、・を受験して知り合いになった関係も偶然と言えば偶然である。もしかしたら、直前の模擬試験の出来具合で別の学校を受験していたかもしれないし、本番の入学試験の記号問題一つの間違えで、これまた別の高校に通うことになっていたかもしれないのである。
 しかし、この「偶然たまたま」が馬鹿にならない。ちょっとした「出会いと気づき」が、その後の人生の方向性を決定づけることにもなる。確か、理科総合の時間に、「偶然の出会い」→「セレンディピティ」についての話題を何回かしたはずだ。ニュートンの万有引力やレーザー光線、ノーベル賞の下村修さんや田中耕一さんの発見ストーリーだったが、何も科学上の大発見に限ったことではない。高校1年の皆には、まだあまりピント来ないかもしれないが、一定の年月を経るとそういうことが身にしみて理解できるようになるものである。「あ、あの時の一言が・・・」とか、「もしあのときああしていなかったら今頃は・・・」の類である。
 ただし、出会いは偶然であったかもしれないが、この2組の一年間の行動、業績、その他の評価のほとんどは、偶然の所産ではなく「必然」であることを付け加えておく。「必然」とは、成るべくして成ること、あるいはそうなることがあらかじめわかっていた、ことである。それにしても、まったくもってノリが悪く、ある面扱いにくいクラスでもあった・・・。

 
 ちなみに今度の新クラス編成も、選択科目を軸に、パソコンが乱数で決めるから「偶然」として受け入れてもらいたい。その後どのようなデザインを加えるかは、各個人の「必然」に依存することが大である。

<意志あるところに道ができる>

 これにて、・・高校一年担任は交代ということになる。高校一年生という時期は、まさしく二度と来ないわけであるが、将来少なくともこんな担任に当たったがために不幸になったと、言われないことを願う。もっとも、担任Yがあと2年間異動せずに・に残るとすれば、2年間連続、さらに3年間連続で同じ担任という恐ろしい予測が立たないこともない。実は、一回り前の担任学年では何人もがその悪夢の憂き目にあった。

 さて、最後の所感である。諸君が生きるこの日本という国は、今後間違いなく激動の時代を迎える。あちこちにその兆しが見え始めていることに早く気づいてもらいたい。変化の時代は逆にチャンスがあると考えても良いのだ。しかし、この未曾有の変革期にあって、たくましく生きる力と知恵を自ら身につけていかなければならないということは明白だ。で、進級に際して贈る言葉としては、やっぱりこれ。どこでどうなるかわからない、ということではあるが、どうするにしてもそこに「意志」が必要であるということだ。

  Where there's a will, there's a way. 意志在るところに道ができる

                              祝進級 END

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